数年前に行った熊本県の球磨郡にある柴立姫神社に思うところがあったので記載する。
柴立姫神社は球磨川のほとりに立っているとても小さな神社である。祠と言うには小さいくらい。
その小さな神社には見事な男性器がまつられている。
この神社の謂われには
昔、武士(または公家)の親子(父と娘)が旅の途中でこの地を通りかかったとき、いたく疲れ切っていた二人は何を思ったか、親子の縁を乗り越え、ただならぬ関係になってしまった。(何故・・・・。)
翌朝、まだ疲れのとれぬ娘が父親に今一度、元気になる事をしてくださいと頼むと(一発かましてくれ)父は己の所行を恥じて娘を斬り殺してしまった。(なんで自分が死なないんだ・・・。)
と説明文にあった。突っ込みどころは色々あるが、そこは置いておこう。
さて、本日高千穂峡へ行って来た。
家に帰ってネットで高千穂の事をいろいろ調べてみると、高千穂民話に似たような話が載っていた。
敵に攻め込まれ主君も討ち取られ、家臣も死に家族もバラバラになった武士が、娘だけをようやく助け出し山を越え逃げていた。娘はぐったりと力無く、武士ももはやコレまでと覚悟を決めたが、その時フッと頭を過ぎった。昔から世間で伝えられていた、男は死を前にして精気がなくなるが女は逆にみなぎってくると言う噂。女の喜びも知らず死んでゆく娘が忍びないと思った父は娘と一線を越えてしまった。翌朝、再び逃げ延びようとしたときに娘の「父上様、今一度・・・・」の言葉にうろたえた武士は娘を槍で突き殺してしまった。
どちらも似たような話である。高千穂と球磨郡。どちらも山深いところで、今でさえも車で行っても一苦労だ。
元ネタがなんであるのか大変興味深い。父と殺される娘の話は全国を探してみればまだあるかも知れない。